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ブリヂストン美術館
ブリヂストン美術館
公益財団法人 石橋財団
〒104-0031 東京都中央区京橋 1-10-1


ブリヂストン美術館開館60周年記念
【ドビュッシー誕生日記念 特別内覧会】 チェリスト新倉瞳さん ミニライブ
第5回ルーマニア国際音楽コンクール室内楽部門第1位であり、自身もドビュッシーの楽曲に影響を受けたという注目の若手チェリスト、新倉瞳さんを特別ゲストに招き、エントランス・ライブを開催。  2012/8/22(水) 会場:ブリヂストン美術館 東京都中央区京橋1-10-1 で行われました。

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チェリスト新倉瞳さん
ドビュッシー誕生日記念ケーキお披露目


ブリヂストン美術館開館60周年記念
ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで
オルセー美術館、オランジュリー美術館 共同企画
Debussy, la musique et les arts
entre impressionnisme et symbolisme

クロード・ドビュッシーは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスを代表する音楽家です。ドビュッシーが生きた時代には、音楽や美術、文学、舞台芸術が、互いに影響し合い、時に共同で作品をつくり上げましたが、彼は音楽家の中ではその代表的な人物と言えるでしょう。本展はドビュッシーと印象派や象徴派、さらにはジャポニスム等の関係に焦点をあて、19世紀フランス美術の新たな魅力をご紹介するものです。

会期: 2012 7/14(土)〜10/14(日) 展覧会は終了しました。
開館時間:
10:00-18:00 (毎週金曜日は20:00まで)
※入館は閉館30分前まで
休館日:
月曜日 (ただし9/17、10/8は開館)
会場:
ブリヂストン美術館

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「ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで」記者発表会
ブリヂストン美術館開館60周年記念
オルセー美術館、オランジュリー美術館 共同企画
「ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで」
記者発表会 '2012 7/13

ドビュッシー生誕150周年記念、19世紀末のジャンルを超えた芸術創造の精華

【展覧会の構成】
第1章 ドビュッシー、音楽と美術、第2章 《選ばれし乙女》の時代、第3章 美術愛好家との交流―ルロール、ショーソン、フォンテーヌ、第4章 アール・ヌーヴォーとジャポニスム、第5章 古代への回帰、第6章 《ペレアスとメリザンド》、第7章 《聖セバスチャンの殉教》 《遊戯》、第8章 美術と文学と音楽の親和性、第9章 霊感源としての自然―ノクターン、海景、風景、第10章 新しい世界、の10章で構成されています。
展示作品は、オルセー美術館、オランジュリー美術館、そしてブリヂストン美術館の所蔵作品を中心に、国内外から借用した作品150点は各章に展示されています。
第1章 ドビュッシー、音楽と美術
第1章 ドビュッシー、音楽と美術
20世紀初頭の作曲家クロード・ドビュッシーは視覚芸術を自らの作品の重要な着想源にしていた。「私は音楽と同じくらい絵が好きなので」と1911年に述べている通りである。1890年代の社交界や美術界と交流を持つことになったが、その背景には、彼の困難な時期を支えた3家族による美術コレクションの存在があった。画家アンリ・ルロール、作曲家エルネスト・ショーソン、そして、高級官僚アルチュール・フォンテーヌである。

アンリ=エドモン・クロス(1856-1910) 《黄金の島》 1891-92年
油彩、カンヴァス 59 x 54cm オルセー美術館蔵
©Musée d'Orsay, Dist. RMN / Patice Schmidt / distributed by AMF
1891年にクロスがポール・シニャックとともに滞在したリヴィエラ沖合、ポルケロール島のそばに黄金の島はある。ドビュッシーの愛したターナーやドガといった画家たちの風景画と響き合うような、移ろいやすい空間を生み出している。

第5章 古代への回帰
第5章 古代への回帰
1890年代フランス・アテネ学院のデルフォイ発掘の成功に、古代音楽や彫刻作品の断片の発見を讃えて、《御者像》 や素晴らしい 《アンティノウス大理石像》 に驚嘆の意を表した。ドビュッシーも古代ギリシアの美術に熱狂し、生み出されたのが彼の初期の作品、ピアノのための前奏曲 《デルフォイの舞姫》 (1910年)である。

アドルフ・ド・メイヤー
(1868-1949) 《腕を上げた半面像のニンフ》
1914年 写真(複製) 20.8 x 16.8cm オルセー美術館蔵
《牧神の午後への前奏曲》 マラルメの詩から想いを得たドビュッシー作品、音楽とダンスは、刺激合うより、並行して展開しているように見える。ディアギレフはアドルフ・ド・メイヤーに依頼して、1912年の大成功を収めたロンドン公演の模様を写真に収めさせた。

第9章 霊感源としての自然―ノクターン、海景、風景
第9章 霊感源としての自然―ノクターン、海景、風景
ドビュッシーの音楽には自然を主題にしたものが数多くある。あらゆる感覚を呼び覚ますドビュッシーの音楽は、彼の愛する詩と絵画の交響曲でもある。印象主義に対しては二の足を踏んだドビュッシーが傾倒したには、むしろ象徴主義だった。


ジョルジュ・ラコンブ(1868-1916) 《紫色の波》 1895-96年
油彩、カンヴァス 73 x 92cm オルセー美術館蔵
ドビュッシーの音楽は、風景によって呼び覚まされた曖昧な感覚、多音の魂、心地よい幻想で溢れている。これは象徴的な視点であり、非現実的な風景など、崇高かつ苦悩に満ちた波と似ている。


クロード・ドビュッシーのマスク
ルイーズ・オクセ (1884-1944) 《クロード・ドビュッシーのマスク》 1920年頃
(左)石膏 27.5 x 21 x 16.5cm / (右)ブロンズ 28.5 x 19 x 14cm 個人蔵、パリ
©Musée d'Orsay / Patrice Schmidt
クロード・ドビュッシー 略年譜
1862年( 0歳) 8月22日、サン=ジェルマン=アン=レーで生れる。
1872年(10歳) パリ音楽院に入学。ピアノ科(1877年に2等賞)、ソルフェージュ科、ピアノ作曲法科(1880年に1等賞)に在籍する。
1884年(22歳) カンタータ 《放蕩息子》 でローマ賞を受賞する。
1893-96年(31-34歳) 《弦楽四重奏曲ト短調》 作曲。5月17日、メーテルリンクの戯曲 《ペレアスとメリザンド》 の作曲に打ち込み、1895年に最初のかたちがまとまる。《牧神の午後への前奏曲》 が完成する。敬愛する画家エドガー・ドガと出会う。
1899年(37歳) リリー・テクシエと結婚する。
1904年(42歳) ピアノ曲《喜びの島》が完成する。エンマ・バルダックと交際を始め(1908年に結婚)、リリーが自殺を図る。中世の宮廷詩人シャルル・ドルレアンと17世紀の詩人トリスタン・レルミットの詩による 《フランスの3つの歌》 を作曲。《みやびやかな宴(第2集)》 を作曲。
1909-10年(47-48歳) ピアノ曲 《前奏曲集(第1巻)》 を作曲。エドガー・アラン・ポーの小説による 《アッシャー家の崩壊》 を作曲(未完に終わる)。
1911-13年(49-51歳)  ピアノ曲 《前奏曲集(第2巻)》、《ステファヌ・マラルメの3つの詩》 を作曲。バレエ・リュスのために 《遊戯》 を作曲。
1918年(55歳)  3月25日死去。パリのパッシー墓地に埋葬される。
印象派によって写実主義が完成したと考えるならば、その後を行く前衛芸術は反写実主義を標榜せざるをえず、象徴派はその急先鋒のひとつです。しかし、モネの例にみられるように、印象派を究極的な地点にまで追求すると、象徴的な表現に到達します。つまり、印象派と象徴派とは、反発する面と通低する面があるのです。ドビュッシーが活躍した時代は、まさに印象派と象徴派が拮抗しながら影響し合う意趣豊かな時代でした。

お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会サイト:http://www.debussy.exhn.jp/
美術館サイト:http://www.bridgestone-mussum.gr.jp
主催:
オルセー美術館、オランジュリー美術館、
石橋財団ブリヂストン美術館、日本経済新聞社

後援:フランス大使館
協賛:NEC、大日本印刷、東レ、みずほ銀行
協力:日本航空

参考資料:Press Release、「ドビュッシー、音楽と美術」カタログ他。
※写真撮影、写真の掲載等は、主催者の許可を得て行っております。


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